「相手は自分の鏡」という考え方について
以前から、
「相手は自分の鏡」という考え方があります。
私はこの考え方を
否定してはいません。
かなりの部分では納得していました。
感覚としては、75%くらいは
確かにそうだな、と思うことが多かったのです。
自分の心が整っていないときに、
似たような出来事が起きたり、
同じような人に出会ったりする。
それは、経験として確かにありました。
しかし、100%は納得できませんでした。
どうしても、少し引っかかるのです…
どうしても腑に落ちなかった部分
どうしても腑に落ちない部分があり続けました。
とてもつらい思いをしているときに
「それは全部、あなたの鏡です。」と言われると、
心では、
「そんなことないよ。」と反発し、
引き受けきれない感覚がありました。
苦しんでいる出来事まで
すべて自分の内側の在り方、周波数だと言われると、
心がついていかない。
スピリチュアルの世界では、
この鏡の法則を
100%真理のように語られることがあります。
でも私は、
少し~かなりの違和感を感じていました。
否定できないけれど、すべてではない
否定しきれない。
でも、全部だとも思えない。
ずっと、心のどこかで考えていました。
なんとなく
鏡である部分も分かる。
けれど、すべてを背負うのは苦しい。
この感覚を、
長い間、心のどこかに置いたまま、
私は時間をかけて
自分の心を整えていました。
火を消さずに、静かに向き合っていたら
時間をかけて、
自分の心を整理して、
静かに見つめて、
火を消さずに向き合っていった先で、
あるとき、別の方向から
ふっと答えがやってきました。
鏡の法則が教えてくれたこと、教えてくれなかったこと
鏡の法則は、
自分を整える途中では、とても役に立つ。
でも、
責任まで全部引き受けてしまうと、
人は壊れてしまう。
こう気付いたときに、
長い間、心に絡まっていたものが
ほどけました。
鏡の法則は、
自分を見つめ直すための道具であって、
自分を責め続けるためのものではない。
すべてを鏡にすると、人は逃げ場を失う
すべてを鏡だと決めつけてしまうと、
人は逃げ場を失ってしまいます。
整えるための考え方が、
いつの間にか
自分を追い込む刃になることもある。
だから、今はこう思います。
鏡の法則は助けになる。でも、すべてではない
鏡の法則は、助けになる。
でも、すべてではない。
もし、
鏡の法則にふれて
かえって苦しくなっている人がいたら、
その違和感は、大切にしてほしいです。
あなたが弱いわけでも、
理解が足りないわけでもありません。
整える段階を越えたら、別の答えが来ることもある
整える段階を越えたら、
別の答えがやってくることもある。
人の心は、
理論ひとつで説明できるほど
単純ではないのだと静かにわかってきました。

