光があれば、闇がある

健康

──体にもあるバランスの話

光があれば、闇があるとは、よく使われる言葉です。
それは思考の世界だけの話ではなく、
体のあり方にもつながっています。

健康、運動、前向き、活動的。
これらはいつも「光」として語られがちです。
確かに、それらは正しい側面を持っています。

けれど、光だけを当て続けると、
体はどこかでバランスを失ってしまうことがあります。

動くことには力があります。
鍛えることにも意味があります。
整えることも大切です。

ただし、それは
反対側の視点を失わなければ、という条件付きなのだと、最近感じるようになりました。


健康情報が片手落ちになるとき

多くの健康情報は、「動ける体」を前提に語られています。

もっと動きましょう。もっと鍛えましょう。もっと筋肉をつけましょう。
もっと、もっとと言われると、少しずつ、潜在意識に不安が植え付けられます。

それらは、ある段階では確かに有効です。
けれど、すべての体に同じ処方箋が合うわけではありません。

動くことで回復する体もあれば、動かないことで整っていく体もあります。

体には、それぞれの段階とタイミングがあります。


動くことの光と影

活動は光です。
けれど、光が強くなればなるほど、影も生まれます。

刺激、消耗、緊張、そして、休めない時間。

それらが積み重なると、
体は言葉ではなく、感覚で知らせてくれます。

理由のない違和感。説明できない疲れ。小さな不調。

それは失敗ではありません。
体が発している「調整のサイン」なのだと思います。


休むことは、病ではありません

体の声を聞きなさい。
そんな言葉を、一度は耳にしたことがある方もいるのではないでしょうか。

けれど、いざ自分のこととなると、
体のサインや言葉に、どれほど気づけているでしょう。

私自身、最近になって、
「休むこと」そのものが体からのメッセージだったのかもしれない、
そう感じる出来事がありました。

休むことは、怠けではありません。
後退でもありません。

むしろ体にとっての「回復」は、
休んでいるときにこそ起こります。

眠ること。
温めること。
何もしないこと。
考えないこと。

その静かな時間の中で、
体は少しずつ、元のリズムを取り戻していきます。


体を「循環」として見る

光と闇は、対立するものではありません。
循環です。

昼があり、夜があり、
活動があり、休息があります。

どちらか一方だけを正義にしてしまうと、
体は必ず歪みます。

体を機械のように扱うのではなく、
リズムを持つ存在として見る。

そう考えると、
「今は休むとき」という選択も、
立派な健康の一部になります。

それは失敗ではなく、
調整を求めるサインなのだと思います。


五行で見る「水」という視点

東洋の五行では、体は
木・火・土・金・水
という五つの性質のバランスで捉えられます。

その中で「水」は、
蓄える、冷ます、潤す、休ませる
といった働きをつかさどっています。

水は、動かす力ではありません。
支える力です。

この水の要素が多すぎても、少なすぎても、
体はどこかで調和を失いやすくなります。

水が不足すると、
渇き、焦り、消耗が起こりやすくなります。

水が滞ると、
重さや重だるさとして感じられることもあります。

いずれにしても、水は「攻める性質」ではありません。


休むことは、水を養うこと

休むこと。
眠ること。
温めること。
何もしないこと。

これらはすべて、
五行でいう「水」を養う行為です。

一方で、動き続けることは、
火や木の性質を強めていきます。

それ自体が悪いわけではありません。
ただ、水の時間が削られすぎると、
体は静かにブレーキをかけ始めます。

女性の体において、
子宮や卵巣は「水」の役割を担う場所でもあります。

水のバランスが崩れたとき、
まずこのあたりに不調として現れることも少なくありません。

だからこそ、
休むこと、温めること、
何もしない時間を持つことは、
女性の体を守る大切な養生でもあるのだと感じています。


私自身の体験から

最近、私は自分の体を通して、
「休ませることも大切なのではないか」
と、ふと気づく出来事がありました。

何かを足すのではなく、
何かを頑張るのでもなく、
ただ、体に任せて休む。

その選択が、
結果的に体を整えていく感覚がありました。

休むことは、止まることではなく、
次の循環へ向かうための準備なのだと感じています。