西川悟平 トーク&ピアノコンサート

足を延ばして
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西川悟平 トーク&ピアノコンサート 御前崎市民会館にて

先日、西川悟平さんのピアノコンサートに行きました。足を延ばして御前崎まで出向きました。御前崎で開催された理由が、後ほど司会をしてくださった方のお話で分かりました。

司会の方が、西川悟平さんが以前、「徹子の部屋」に出演した番組を見られて感動されて、御前崎に来ていたけるように企画をされたそうです。御前崎の町全体で支援されて演奏会に至ったのだと思いました。地元の方、小・中学生も大勢が聴きに来ていました。一人の方の感動が波のように御前崎にまで広がったのですね。

西川悟平さんとは

西川悟平さんを知ったのはある雑誌の記事です。

15歳から始めたピアニストとして、2004年のリサイタル中に指に不調をきたしました。診断の結果ジストニアと診断される病気を患い、両腕が使えなくなってしまいました。ピアノ演奏を諦めかけたとき、保育園の子どもたちとふれ合う機会を持ちました。子どもたちに、ピアノ曲の演奏をせがみます。最初は指が使えず断っていましたが、子どもたちの要望に負けて、使える指だけで「キラキラ星」を演奏しました。子どもたちは、目を輝かせて「きれいな音」と、口々に言いました。

そのとき、彼の思いは変わりました。「意識を、動く指に持って行くと気持ちが感謝に向く。使えない指を数えるのではなく、使える指に感謝して使おう、まだまだ使える指がある」と気付き、懸命なリハビリとカウンセリングの結果、現在は7本の指が動くまでに回復し“7本指のピアニスト”として知られるようになりました。

それ以降、「心を伝えるピアニスト」として、聴衆の耳を魅了し続けています。

最近、「意識世界を創り出している」と言う言葉を様々なところで耳にするようになりましたが、体験者のお話を間近でうかがい、演奏を聴ける機会を持てて貴重な時間になりました。

西川 悟平さんの思い

ピアノの練習を遅い時期から始め、周囲からは無理と言う言葉かけがあったものの、持ち前の根性と努力でいろいろな曲を弾きこなしていました。若いころは誰でもが華やかさに惹かれるものです。悟平さんも例外ではなかったようです。1日のピアノの練習時間は想像に絶するものだったようです。全ての指が使えなくなったと分かったときにはどれほどの「絶望」を味わったかは想像すらできません。

新たにピアノを始めるとき、世界で生き残る唯一の方法を先生に教わりました。それは、「音を削っていく演奏」です。「1音の響きの中に次の音を入れて重ねていく技法」を使い、ゆっくり心を込めて演奏されるとのことです。独特な響きがありました。カーネルギーホールでの演奏ではシのフラット一音だけで、スタンディングオベーションをいただき驚いたと話されていました。(華やかではない削りつくした音だったため)

絶望に負けずに、思いを伝えたいと言う気持ちが「心を伝えるピアニスト」として復活を果たし、現在では西川さんの体験談が小学校の道徳の教科書にも掲載されたとのことでした。教科書にはQRコードが載っているそうです。

西川さんはトークがお上手で、皆さん引き込まれていました。「感謝、ラッキー、ついてる」等の言葉を日常で使われ、本当にそのような出来事に巡り合っていました。

お名前が表すように、悟りを開き、平和に貢献されているのだと思いました。

いのちの歌 竹内 まりや

「いのちを歌」を演奏してくださいました。演奏とともに、歌詞がとても胸を打ちます。

よろしかったら聴いてみてください。

命の歌 竹内まりあ  西川悟平ピアノ

『~泣きたい日もある 絶望に嘆く日も~』 自分自身の絶望を受け止めた西川さんの思いが伝わってきます。